6.18.2016





明日はオヤジの日。父の日。 






初めてのアメリカ旅から帰った一週間後。

オヤジは死んだ。


突然といえば突然で 

死んでもしゃーない生き方をしていた
だから
いつ死んでも可笑しくないといえば可笑しくもない


兎に角 私が帰ってくるのを待っていたかのように
一週間後に死んだ。


私は二二歳だった。

もっともっと彼の人生を
どんな人生だったのかを

オヤジの生き様を聞いておくべきだった と至極思う。


それは
今では考えられないような
面白い生き方をしてきたからに違いないからだ。



数年前は 親父について 書き残しておこうと思い 以下のように綴り始めた。

程なくして 事件が起き

逃げ 隠れして

思考も儘ならない状態だった。


今は 障がい者の 施設のみんなを支えていく仕事を始めて 
オヤジのことをどうのこうの考える時間も無くなった。





けれど明日は 父の日

あの日 綴ったものを載せよう 何か新たに書き留めるほど 頭の中 隙間も 余裕も ない。








六月十八日
キョウはあの人の生まれた日    それからあの人も生まれた日。


六月はなんだか たくさんの人が 大切な人たちが 生まれた月
 

  良き月かな 水無月かな









オヤジの背中に南無阿弥陀仏(仮題)A-KILLAブログより


 

オヤジの背中には”南無阿弥陀仏”という刺青が入っていた


今でこそワタシの体にはソレ以上の刺青が入っているけど
 


幼い頃のワタシはオヤジのソレが嫌で嫌で仕方なかった


泳ぐのが大好きだったオヤジはよく近所のプールで泳いでいた

ワタシは友達と一緒に泳ぎに行く


そこで偶然オヤジに会っても 知らぬ顔をしていた


オヤジの背中に”刺青が入っている”ということを友達に知られたくなかったからだ


いつだったか 腹違いの兄から聞いた


母親からだったか? 聞いたことは


”どう
せオレは野垂れ死にするだろう 誰にも看取られずに だからせめて自分自身への供養に と思いコレを入れた”


なんてカッコイイように言っていたけど ”南無阿弥陀仏” を囲う数珠も中途半端に終わってるし
(アタシの腹に入っているスクリプトの方がよっぽどカッコいい)


言う程シリアスでもなく 日本人離れした日に焼けた顔をくちゃくちゃにさせて


子だかウチの母親に話をしたんだろう。。。。。。。


そんなことを言いのけるオヤジが死ぬ程カッコいい そして洒落者だ 破天荒過ぎて 殺してやる と思ったこともあるけど


あんな人見たことないし 今でも誰よりもおしゃれでかっこいいと思っている


そしてワタシはその ”性” ”性分” を受け次いでしまった


血筋って怖い





大正5年3月22日(多分) オヤジ生まれる 生きていたら94歳


赤紙は届かなかった


オヤジには戸籍が無かったからだ 


だから戦争に行かずに済んだわけ  


勿論学校なんて行っていない そこで学ぶ以上のことを一人でなんでもやってきた


戸籍
はないけど 免許でも 何でも持ってた なんならセスナ機を操縦できる免許も持っている


その時代は闇の中で色々なことができたに違いない





ワタシが高校を卒業すると同時に オヤジの戸籍を作ることになった


それにあたって裁判所に沢山の書類を提出しなければならなかった


オヤジが本当に ”桑原” という人間であることを証明する為の書類を弁護士と母親で探し始めた


それを証明できるものが ”ある場所” から見つかった そのある場所というのは


話には聞いていた場所だったんだけど。。。。。。
(ワタシが30歳過ぎた頃にある事情でその場所に行くことになる 因縁 それとも運命というのか 不思議な気持ちになったのを覚えている)


そしてオヤジは様々なタイプの人間に可愛がられた


その中には ”児玉誉士夫” もいた



どんな付き合いがあったのかは 


今週、オヤジの話を聞きに ”腹違いの兄” に十数年ぶりに会いに行く 



Photobucket
児玉誉士夫から。オヤジに届いた封書。




ィクションか ノンフィクションか。。。。。。。。。。。
こんな感じの本!!!!



No comments:

Post a Comment